- 茨城県在住
- 都内の中小企業にて約20年勤務
- 病気療養のため退職
- 都内での再就職を希望するも撃沈
- 貯金が底をつき実家へUターンして両親との同居生活開始
- 2015年1月よりフリーランスのWebライターとして活動開始
防火管理者(甲種)
2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。
当時、都内で会社勤めをしていた私は、ビルの6階にあるミーティングルームで打ち合わせをしていたのですが、「ん?地震?」と思った次の瞬間、揺れが大きくなりました。
机の下に身を隠そうとしたものの、更に大きくなった揺れで身動きが取れず、机の脚にしがみついて床に座り込むのが精一杯。
揺れが収まってから執務室に戻り、その日の業務を何とか終わらせた頃、会社側から「帰宅せずに社内で待機するように」との命令が出されました。
その頃には電車も止まり始め、駅構内に入れなかった人たちが道路に溢れている状況だったし、歩いて帰宅しようにも帰宅ルートがわからないので動きようがない。社内待機の命令に従うしかなかったのです。
会社からは簡単な食事と非常用の毛布が提供されましたが、私は全く別のことで不安を抱えていました。それは、持病をコントロールするための薬を持っていないことでした。
私はある難病を抱えているため、症状をコントロールするための朝晩の服薬が欠かせません。ところが、当時は出勤前に自宅で朝食後の薬を飲み、帰宅してから夕食後の薬を飲むというのが習慣で、予備の薬を持ち歩くこともありませんでした。
そのため、社内待機となれば当日の夜と翌日の朝、2回分の薬が飲めないということになります。欠かさず飲まなければいけない薬が手元にないというのは、私にとって大きな不安材料でした。そして、その不安は翌日の帰宅時に現実として突きつけられたのです。
普段なら最寄り駅から10分足らずで帰れるはずの自宅アパートへ、20分以上かけて帰りました。思うように力が入らない足を引きずり、途中で何度も休憩を挟み、やっとの思いで部屋にたどり着いた時には疲労困憊という言葉がぴったりなほど疲れ切っていました。
その時、「常に薬を持ち歩かなければダメだ」と強く感じたのです。これが、私が防災を意識した最初の出来事でした。
東日本大震災から3年が過ぎた2014年の夏、療養中だった私は、それまで勤めていた会社を辞めて実家に戻りました。
都内での再就職も考えましたが、当時は体調が思わしくなかったことや、年齢的な問題で正社員として転職することは困難でした。貯金が底を尽きそうになったこともあり、実家で両親の助けを借りながら生活を立て直そうと思ったのです。
そうして約30年ぶりに両親との同居生活が始まったわけですが、ここで、両親と私との防災意識に大きな差があることがわかりました。
東日本大震災では震度6強の揺れに襲われた実家では屋根の瓦が落ち、外壁にヒビが入ったほか、家の中では食器が割れたり、大型テレビが倒れたりしました。3日間の停電や1週間近い断水も経験していましたが、両親は「このあたりは大きな災害に遭う心配がないから安心」だというのです。
確かに、水害や土砂崩れなどの心配はないものの、地震の多い地域です。将来起こるといわれている首都圏直下型地震で被災する可能性もゼロではありません。それなのに、両親には危機感がまるでないように思えました。
一人暮らしをしていたときは自分の身さえ守れればよかったけれど、両親と同居となれば、いざというときは両親と私、3人の命を守らなければなりません。それなのに、肝心の両親には危機感がない。このような状況で私にできることは何だろう?と考えるようになりました。これが、2つめの出来事です。
そして、3つめの出来事。それは、母が脳梗塞で倒れたことです。幸い命は助かったものの、右足に麻痺が残りました。両親はともに80代、しかも母は体が不自由となれば、避難するのも難しくなります。おそらく、避難所で生活するのも難しいでしょう。そうなると、考えられるのは在宅避難です。私は、在宅避難に関する情報も調べるようになりました。
そうした中で、「私と同じように悩んでいる人がいるのではないか。」と思うようになりました。防災について私が知っていること、調べて新たに知ったことなどをブログで発信すれば、誰かの役に立つのではないか。そんな気持ちから、このブログを立ち上げたのです。
日本はもともと自然災害の多い国です。地震や津波のほか、台風や豪雨による水害・土砂災害も発生しています。未来に目を向ければ、今後30年以内には首都直下地震が70%、南海トラフ地震が70~80%の確率で発生すると予想されています。
30年以内ということは、明日かもしれないし1週間後かもしれない。1年後かもしれないし、29年間なにごともなく過ぎて30年目に大地震が発生するかもしれないのです。
もしも明日、大地震が発生したら、あなたは自分の命を守れるでしょうか。支援物資が届くまでの数日間、命をつなぐことはできますか?
防災意識を高めて準備をすることは、自分の命を守るために必要なことなのです。
また、「震源地から離れているから大丈夫。」ともいえません。なぜなら、災害直後は被災地から離れた場所でも食料などが品薄になる可能性があるからです。
実際に東日本大震災が発生したあとは、都内のスーパーやコンビニでも品薄状態が続きました。
私が住んでいたアパートの近くにあったスーパーでは、2Lの水は1人2本まで、カップ麺は5個までの制限つき。コンビニではお弁当は1人1個、おにぎりは1人2個まで、水は1人1本の制限があったものの、あっという間に売り切れてしまい、商品棚が空っぽという光景を何度も見ました。
信じられますか? 飽食の時代といわれる現代において、スーパーやコンビニの商品棚が空っぽで食料が手に入らないなんて。
私は信じられませんでした。
空っぽの商品棚を見て、何度「ウソでしょ?」と呟いたことか。
当時は新聞やニュースで【想定外】という言葉が何度も聞かれましたが、被災地から離れた東京でさえ食料が手に入らないという状況は、私にとってまさに想定外でした。「自分が災害に巻き込まれて被害を受けることはない。」という根拠のない自信もあったので、自分の周囲で起きていることの全てが、想定外としか言いようがなかったのです。
また、被災地の東北からは遠く離れた広島でも、水が品薄になったと聞いています。これは、東北や関東に親戚や知り合いのいる人が、まとめ買いをして送っていたからだとか。見慣れた水のペットボトルは全て売り切れ、初めて見るメーカーの水が並んでいたといいます。こうした光景も、広島に住んでいる方にとっては想定外の出来事だったでしょう。
東日本大震災では、特に東北地方が大きな被害を受けました。津波によって自宅や店舗が流された方、命をなくした方も多くいました。これらは災害による直接的な被害です。
災害が起きた場合、直接的な被害は受けなくても、その後の生活に影響を受ける可能性があります。「自分だけは災害に巻き込まれることはないだろう。」と楽観的に考えていると、ある日突然、災害に巻き込まれて想定外の出来事に遭遇するかもしれません。当時の私がそうだったように。
私は東日本大震災を経験したことで、被害を最小限に抑えて自分の命を守るには、情報収集と日頃の備えが重要だということを実感しました。
一人ひとりが防災意識を高めて日頃の備えをしっかり行なうことで、災害時の被害を減らすことができるとも思っています。
あなたは、どう思いますか?
「自分は大丈夫。」「まさか自分が被災するわけがない。」
そんなふうに思っていませんか?
でも、震災は日本各地で起きているのです。
「天災は忘れたころにやってくる」という言葉があるように、
「その日」は突然やってきます。
震災が起きてからでは遅い。
でも、起きる前に対策をしておくことで、
避けられる、減らせる被害もあります。
だからこそ、このブログを立ち上げようと思ったのです。
あなたの命を守り、想定外の出来事を減らせるように、防災や備蓄について一緒に考え、行動に移していきませんか?